Our Clothesline with Mónica Mayer
メキシコのフェミニスト・アーティスト、モニカ・メイヤーの作品《The Clothesline》を元に、同プロジェクトを日本各地で展開するグループです。
Mónica Mayer
モニカ・メイヤーは1954年生まれのメキシコのフェミニストアーティスト。
パフォーマンスや写真、絵画など様々なメディアを使用するフェミニズム・アーティストで、評論家としても活躍しています。
モニカと日本とのかかわりは彼女の母親にさかのぼります。モニカの母リリアは日本文化が大好きで近所の日本語学校に通っており、必然的にモニカ自身も日本文化に触れていたそうです。なんとモニカの最初のパフォーマンス舞台は日本舞踊の舞台だったんですって。
モニカが美大生だった70年代、女性の地位はまだまだ低く、フリーダカーロですら授業で取り扱われることはありませんでした。男の同級生は当時「女性のアーティストは子どもを産むとクリエイティビティがなくなる」と当然のように言っていたほど。
当時のメキシコのアートというと壁画家が中心で、政治的な題材を絵にして活動していました。階級社会や民主主義、特に学生が虐殺された1968年のトラテロルコ事件などを取り上げた作品は多くありましたがフェミニズムやLGBTなどの権利がアートのテーマになることはほとんどありませんでした。
モニカが1976年にメキシコで盛り上がってきていたフェミニズム運動に参加したときには、妊娠中絶とレイプについて問題提起しており、活動していたのは30人程度でした。当時、メキシコシティでは中絶が禁止されており、望まない妊娠をした女性は密かに国を渡るか違法な闇医者で手術を受けるしか方法がなく多くの女性が合併症や生活に苦しんでいました。
モニカはフェミニズム運動に参加したのと同時にアートとフェミニズムを結びつけることを考えていました。
1977年にメキシコでフェミニストを表明した初めての美術展「Collageintimo」を仲間たちと開催しました。
彼女が最初につくったフェミニズムアートは、当時はタブーとされる性的なものについての作品だったため、彼女のお母さんからは
「こんな作品を出展したら兄の就職がなくなるわ!!」
と言われていたそうです。しかしそんな心配をよそに展示会は大成功を収め、その作品は現在美術館に所蔵されているんですよ。
お母さんは当初モニカを心配し、危ない事があってはいけないと共にデモやパレードに参加していたそうですが、途中から彼女も運動自体に参加し、お母さん自身が立派なアクティビストになっていったというエピソードもあります。
The Clotheslineは1978年にメキシコ近代美術館で行われた「TheCity」という展覧会で最初に展示されました。
この時には展覧会の「The City」というテーマに基づき様々な年齢、階級、教育レベルの女性に「あなたが女性として、この街の嫌いなところはなんですか?」と問いかけ、答えを小さな紙に書いて物干しロープにつるすものでした。
当時はまだハラスメントに対する意識は低く、女性たちの答えは「大気汚染」「交通機関の不便さ」などが主なるものでした。しかし、対話的なプロセスを経て次第に「バスの中での痴漢」や「女性として暴力を受けた経験」など自分たちの被害経験を話してくれるようになり、次第に女性としてのハラスメントについての質問に変わっていきました。
モニカはその後ロサンゼルスに渡り、ジュディ・シカゴが設立した「Woman’s Building」に参加しました。スザンヌ・レイシー、レスリー・ラボリッツらとともに学び、さらに1980年にはゴダール大学で芸術社会学の修士号を取得しました。
Woman's Buildingでは「Bedtime Stories:Women Speak Out Against Incest」という展覧会で、当時ほとんどテーマとされることがなかった近親相姦についての作品を手がけました。
この作品の過程で、このような問題を取り扱う際には観客やスタッフのメンタルケアも非常に重要であると気がついたモニカは展示室に支援の情報センターをつくり、ケアやセラピーを担当できるセラピストに常駐してもらったりという対応を行ないました。
ロサンゼルスでは美術館だけでなくストリートに出ることの重要性を体感した時期でもありました。
当時アメリカではパフォーミングアーツが盛んで、美術館や劇場を飛び出しレストランやコインランドリーなど日常の中でアートが行われる試みが行われていました。
モニカも1978年にはスザンヌ・レイシー、レスリー・ラボヴィッツらとともに《Take back the night》(女性に対する暴力の撲滅のために約3000人の女性のデモ参加者がマーチングするイベントにフロート(山車)を作った。聖母像や内蔵を出され皮の剥がれた山羊があったり、その中でポルノ画像が掲示されるというインスタレーション作品であった)に参加。
その後もスザンヌレイシーを中心に政治的なアート活動を通じて女性への暴力撲滅を目指した社会実践プロジェクトにも参加しました《Making it Safe》(Suzanne Lacy 1979)他
また、ロサンゼルス滞在中にはアメリカとメキシコのフェミニストを交流させるプログラムも実践し、現在進められているような国境の壁ではなく、両側をつなぐ橋になりたい、と考えていくようになりました。
その後メキシコに帰国したモニカはフェミニスト・アートの可能性について活発に議論し、調査を進め、1983年にはメキシコでフェミニスト・アート・コレクティブPolvo de Gallina Negraを設立し、1993年まで活動していました。
そこでは女性、母親、家事労働、またメキシコでの長年の風習を見つめ直すテーマの作品を展示し、フェミニズムとアートをより深く繋げていきました。
80年代以降、メキシコのフェミニストたちはアートとアクティビズムを統合させる活動を行なっていました。メキシコでは流産や死産は犯罪とされ投獄されました。また中絶の権利についてもメキシコシティにおいては近年合法化されましたが、メキシコ国内では未だ禁止されているところが多く残っています。女性としての権利を求め、多くの人々がデモやマーチングに参加し、アートもそれに続き多くの優れた作品が生み出されました。
しかし今世紀に入って強烈なバックラッシュが起き、フェミニズムに対するヘイトが強まっています。さらに現在でもメキシコでは女性という理由のみで1日に9人もの女性が殺されているのです。
1989年にモニカは夫のVictor Lema とともにPinto mi Rayaを設立しました。「線を引く」という意味のPinto mi Rayaは当初ミニギャラリーとしてスタートしました。彼らの目標は美術館やギャラリーとは異なる、遊びや重要な作品を見せることができる、さらにプロセスの重要性を強調するスペースを作ることでした。モニカは、アート作品の洗練されたビジョンを提示することではなく相互作用の促進とそのプロセスの展示に興味を持っていたのです。
その後、Pinto mi Rayaは応用的なコンセプチュアルアートプロジェクトに取り組むプラットフォームになりました。それは作品の象徴的価値に加え、アートシステムを潤滑化させることを目的としたコンセプトアートプロジェクトです。
彼らの活動は様々な芸術分野に参入・介入し、問題提起を行うことで、研究、教育普及、トレーニングやパフォーマンスとして定義されることもある多角的なものでした。
このプロジェクトは現在も続いており、アーカイブの編纂、他のアーティストとのコラボレイティブな活動、ラジオ番組、マガジンの発行、フェミニストアートに関する本の出版などさまざまな活動を行っています。
日本ではあいちトリエンナーレ2019の参加作家として初めてThe Clotheslineを名古屋市美術館にて展示しました。私たちOur Clothesline with Mónica Mayer はこの時のThe Clotheslineワークショップ参加者の有志で始まりました。
あいちトリエンナーレ2019では「表現の不自由展・その後」の展示中止に抗議するため、The Clotheslineを沈黙させるという展示変更を行いました。それは以下のようなものでした。
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- 《The Clothesline》は「表現の不自由展・その後」が再び開かれるまで、閉じられます。
- 全ての回答をロープから外し、片付けます。そのため《The Clothesline》は空っぽになりますが、再開した時には再びロープに回答を留めることができます。何も書かれていない質問カードとペンは、テーブルから片付けられます。
- 何も書かれていない質問カードを破り、床に散らばせます。
- 壁面の、過去の《The Clothesline》の画像とテキストは残ります。
- ロープに何も付いていないフレームが残され、ピンクのエプロンをフレームに掛けます。きれいに掛けるのではなく、ただその場に置きっ放しにされたようにぶらさげます。
- 質問カードをロープから外す前に、現在の展示状態を撮影します。質問カードを取ったあと、何も付いていない状態の写真も撮ってください。
- 質問カードをロープから外したあと、英語と日本語のステートメントと、また閉じる状態になる前の《The Clothesline》の小さな写真をいくつか、フレームのロープに留めます。
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また、展示再開に向けたアーティストたちの活動 ReFreedom Aichiのなかでアーティストユニット キュンチョメの作品「YOur Freedom」はモニカのこのThe Clotheslineのコンセプトを用いたもので、「表現の不自由展・その後」の展示室の扉に質問カードを貼っていくプロジェクトとしてモニカおよびOurClotheslineのメンバーがファシリテートをお手伝いしました。
その後、「表現の不自由展・その後」の再開とともにThe Clotheslineも再開し、多くの人々が参加した作品となりました。それはまた、日本においてもまだまだセクシャルハラスメントや性暴力の被害は多くあり、解決するべき課題であるということを可視化させました。